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岩手火山の概要
 脊梁山脈の三ツ石火山から東方に約12kmにわたって大型の成層火山が配列してしており,岩手火山群と呼ばれる.岩手火山群の東部を占める山体が,狭義の岩手火山である(中川,1987;土井,1991a).
 岩手火山は,地形的には鬼ヶ城カルデラを初めとする開析の進んだ西側の山体(西岩手火山)と,その東部のほとんど開析を受けていない円推形の山体(東岩手火山)に区分される.東岩手火山山頂の薬師火口(直径約500m)内には比高約60mの妙高岳火口丘がある.妙高岳火口丘と薬師火口西縁との間には,直径30m,深さ約20mの御室[オムロ]火口が開いている.
 岩手火山は玄武岩〜玄武岩質安山岩からなる大型の第四紀火山で,西岩手火山は約27-30万年前から,西岩手火山は約3万年前から活動し,約20万年前から現在に至るまでに山体崩壊と火山体の再生とを少なくとも7回繰り返してきた(土井,1991a, b).[従来の噴火活動のまとめ][岩手火山の写真

岩手火山における有史時代の活動 
a) 10〜17世紀の活動
 十和田aテフラ(AD915年噴火;町田ほか,1981)の上位に黒ボク土を挟んで存在する尻志田[シリシダ]スコリアを噴出した活動である.盛岡地域に残されている中世以前の文献史料が乏しいため,この活動に関する噴火年代や災害実績は明確ではない.
 この活動に直接関連するか否かは明確ではないが,尻志田スコリアの噴出後,薬師岳火口の一部が崩壊し,一本木原岩屑なだれ堆積物(現表面積約6km^2,最大層厚<10m)として東岩手火山の東部山麓に流れ下った(土井ほか,1991).

b) 1686(貞享三)年の活動[詳細]
 山頂火口からスコリア(刈屋スコリア)を噴出した.
 噴火活動は,初期にマグマ水蒸気爆発によりベースサージを発生し,その後,噴煙柱を形成するようなスコリア噴出に移行した.
 降灰は盛岡市内にも到達した.活発なスコリア噴火の継続期間は,1〜半日と思われる.また,もっと規模の小さな活動(火口周辺に火山灰を降下させる程度の灰混じりの噴気を放出する活動)は,半年程度続いたと思われる.
 この活動では,山体の積雪融解により泥流が発生し,東部山麓の集落に被害が発生した.
 噴石により山麓の集落に被害が起こったとする史料もあるが,この信憑性は疑わしい.                   

c) 1732(享保十六〜十七)年の活動[詳細]
 東岩手火山における北東部の山腹に側火口が開き,極小規模なスコリア丘と溶岩流(焼走り溶岩流)を噴出した.
 この活動による被害の発生は記録に残されていないが,噴火に先立ち北東山麓部では有感地震が頻発したため(1日に約53回と云う),1集落の全住民が一時避難した.                 

d) 1919(大正8)年の活動
 1919年(大正8年)7月15-16日に西岩手火山カルデラ内の大地獄とよばれる噴気地域で小規模な水蒸気爆発が起こった.
 当時,現地調査を行った盛岡高等農林(岩手大学の前身)の職員の談話として,火口の直径は10m程度で,火口周辺では数cm降灰やこぶし大の噴石が確認されたという.この時の降灰は,西南方向に伸び,大地獄から約4km離れた網張り温泉でも確認されたという.また,不動平避難小屋にも降灰したとの証言も有るが,現在堆積物としては確認できない.[大地獄の写真][水蒸気爆発噴出物]

e) 1919年以降の異常
 1934年(昭和9年)9月23日未明には爆音の様な大音響を伴った地震が盛岡で観測され,薬師火口周辺から立ち昇る噴気が遠望されるようになった.盛岡測候所所員による現地調査では,砂礫の変色と地表の高温域の存在が確認されただけで,放出物は確認されず(中田,1934),爆発現象の発生については否定的である.
 1935年(昭和10年)3月23日に「山頂部から高さ100m程の黒煙が吹き上げた」との新聞報道と学会記事がある(盛岡地方気象台,1972;火山学会,1935).1935年4月10-11日には地鳴りを伴った地震が盛岡で観測されたが,現地調査では御室火口内の岩塊の間から新たな噴気地点が見出されただけで,噴出物の放出などは確認されなかった.これにより,1935年の活動は噴火による黒煙ではなく噴気の増大によるものであると判断され(盛岡地方気象台,1935),学会記事はこれを受けて訂正された(火山学会,1937).
 1936年(昭和11年)5月11日黒倉山頂上及び南方に面した斜面から噴気の上昇が確認された.噴気の高度は約500mと報じられている(火山学会,1937).
 1939年(昭和14年)7〜9月の岩手火山の異常として,地震と小爆発の発生を示唆する報告書が村山(1978)に引用されている.しかし,これは1934(昭和9)年の岩手火山の異状に関する報告書[中田,1934]が誤まって引用されたもので,その中に爆発現象の発生を示す 記述は無い.
 1960〜70年代にかけては岩手火山山頂部(特に妙高岳火口丘中腹や御室火口)から噴気の放出が特に活発であった(気象庁地震課,1972).1972年4月10日には妙見岳から白色噴煙約300mの記録も有るが,1960年代から続いていた一連の噴気活動に関連するものと考えられる.


 岩手火山に関するページの内容は,文中に文献名が明記されている箇所については,公表論文・報告・著作を利用させていただきました.

[参考文献一覧を見る]


 なお,歴史資料を用いた岩手火山の噴火活動史の詳細については,以下の論文にまとめました.
 伊藤順一(1998)文献史料に基づく,岩手火山における江戸時代の噴火活動史,火山,第43巻,p. 467-481

歴史資料を用いた噴火活動史の解釈に関する注意点・問題点] 
 明治時代以前の噴火活動の様子を知るには,当時の人々が書き残した古文書が手がかりとなります.しかし,当時は地震計などを用いて科学的な観測が行われているわけでは無く,当時の人々の五感を用いた観察によっています.このため,人間に感じることのできないほどの小さな地震の発生はもとより,天候が悪く山を眺めることが出来なければ小規模な噴火活動が発生していても気づかないことが有ります.古文書の記述が明確でないために,その解釈には曖昧な点が残ることもあります.また,当時の噴火活動の記録が年月を経るうちに散逸し,断片的にしか残されていなかったり,あるいは全く残されていない可能性もあります.

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