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b) 1686(貞享三)年の活動[詳細]
山頂火口からスコリア(刈屋スコリア)を噴出した.
噴火活動は,初期にマグマ水蒸気爆発によりベースサージを発生し,その後,噴煙柱を形成するようなスコリア噴出に移行した.
降灰は盛岡市内にも到達した.活発なスコリア噴火の継続期間は,1〜半日と思われる.また,もっと規模の小さな活動(火口周辺に火山灰を降下させる程度の灰混じりの噴気を放出する活動)は,半年程度続いたと思われる.
この活動では,山体の積雪融解により泥流が発生し,東部山麓の集落に被害が発生した.
噴石により山麓の集落に被害が起こったとする史料もあるが,この信憑性は疑わしい.c) 1732(享保十六〜十七)年の活動[詳細]
東岩手火山における北東部の山腹に側火口が開き,極小規模なスコリア丘と溶岩流(焼走り溶岩流)を噴出した.
この活動による被害の発生は記録に残されていないが,噴火に先立ち北東山麓部では有感地震が頻発したため(1日に約53回と云う),1集落の全住民が一時避難した.
e) 1919年以降の異常
1934年(昭和9年)9月23日未明には爆音の様な大音響を伴った地震が盛岡で観測され,薬師火口周辺から立ち昇る噴気が遠望されるようになった.盛岡測候所所員による現地調査では,砂礫の変色と地表の高温域の存在が確認されただけで,放出物は確認されず(中田,1934),爆発現象の発生については否定的である.
1935年(昭和10年)3月23日に「山頂部から高さ100m程の黒煙が吹き上げた」との新聞報道と学会記事がある(盛岡地方気象台,1972;火山学会,1935).1935年4月10-11日には地鳴りを伴った地震が盛岡で観測されたが,現地調査では御室火口内の岩塊の間から新たな噴気地点が見出されただけで,噴出物の放出などは確認されなかった.これにより,1935年の活動は噴火による黒煙ではなく噴気の増大によるものであると判断され(盛岡地方気象台,1935),学会記事はこれを受けて訂正された(火山学会,1937).
1936年(昭和11年)5月11日黒倉山頂上及び南方に面した斜面から噴気の上昇が確認された.噴気の高度は約500mと報じられている(火山学会,1937).
1939年(昭和14年)7〜9月の岩手火山の異常として,地震と小爆発の発生を示唆する報告書が村山(1978)に引用されている.しかし,これは1934(昭和9)年の岩手火山の異状に関する報告書[中田,1934]が誤まって引用されたもので,その中に爆発現象の発生を示す 記述は無い.
1960〜70年代にかけては岩手火山山頂部(特に妙高岳火口丘中腹や御室火口)から噴気の放出が特に活発であった(気象庁地震課,1972).1972年4月10日には妙見岳から白色噴煙約300mの記録も有るが,1960年代から続いていた一連の噴気活動に関連するものと考えられる.