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1686(貞享三)年噴火

i)噴火堆積物から見た噴火活動の推移
 1686年噴火により放出された堆積物は,刈屋スコリアと呼ばれ,山頂火口を噴出源として,北東と南東を向く2本の分布軸を持つ(土井,1991a).降下スコリアの大部分は,北東方向に降下しており,山頂火口から約10km離れた大更[オオプケ]周辺でも5-10cm程度の層厚を示す.一方南東方向への分布域では,どう距離でも層厚は5cm以下である.盛岡城下では,貞享三年三月三日(1968.3.26)の夕方から降灰が始まったとの記録が残されているが,盛岡市内では現在,この時の降下スコリア層をほとんど認めることはできない.[地図]
 東岩手火山8合目の不動平では,地表部の刈屋スコリア直下に,ベースサージ堆積物を認めることができる.また,東部の山腹では,刈屋スコリア最下部に極細粒の火山灰ユニットが存在することを確認できる.このことから,1696年噴火では,噴火初期にマグマ水蒸気爆発が発生し,火口周辺部を覆うようなベースサージが発生し,それに伴って細粒火山灰が東部山腹へ降下したと考えられる.マグマ水蒸気爆発の後,噴煙柱を形成するようなスコリア噴出に噴火活動が移行した.
 噴火初期には山頂部が積雪に覆われていたものが,活動の継続により火口周辺の積雪量が減少すると共に,マグマ水蒸気爆発からマグマ噴火への移行が起こったものと考えらる.[1686年噴出物の露頭写真] 

ii) 噴火の開始
 貞享三年三月三日夕方(1686.3.26)に岩手火山山頂部から立ち昇った噴煙が盛岡城から確認された.しかし,の早朝には盛岡城下で音響が確認されていること,当日すでに北上川に流木や家財の一部が流れついている.三月三日まで噴煙が確認されなかったのは,天候が悪いため盛岡城から岩手火山の様子を目視出来なかったに過ぎず,噴火の開始は三月二日(1686.3.25)頃と考えても良いだろう.

iii) 噴火のクライマックスとその継続時間
 岩手火山の周辺に火山灰を降下させるイベントが,今回の活動のクライマックスと考えられる.盛岡城下への降灰が始まった日付として,三月三日(1686.3.26)の夕方とする史料と,同年閏三月三日(1686.4.25)とするものがあるが,検討の結果,三月三日(1686.3.26)と判断される.
 三月四日(1686.3.27)には天候が再び悪化し,山頂部の観察が困難になった為,詳しい噴火の様子は記述されていない.盛岡城下及び山麓部の双方で,三月四日(1686.3.27)の噴火記事には降灰の記述が見られなくなっている.また,山麓部では噴火による音も静かになってきたことが書き残されている.このことから,クライマッスクの噴火活動は,三月四日午前中には終了したと考えて良いだろう.

iv) 噴火災害
 今回の噴火活動においては,人的な被害は報告されていないが,火山泥流による家屋・家畜の被害発生の記録が残されている.
 現地調査を行った代官らは,三月四日の早朝に火山泥流を目撃するとともに,家屋の屋根の上で救助を待っていた被災住民の証言を得た.そのの証言によると,火山泥流によって5軒が家屋・家財を流失,4軒は家財を梁に上げて避難したらしい.この被害実績は別の史料でも裏付けられている.
 厨川代官らが泥流を目撃した場所は明確ではないが,多くの噴火記事が,火山泥流により被害が出た地点を「角掛村」としている.また,修験者らが三月三日の夜から四日にかけて柳沢周辺での実見録を残しているが,柳沢集落における災害の発生を報告していない.このことから,1686年噴火による災害は,角掛村周辺だけであったと判断される.
 「角掛村」は現在残されていない.当時の絵図と現在の地形図と照らし合わせると,「角掛村」は現在の一本木集落南部〜加賀内周辺を指すものと判断できる.一本木集落の南側 を流れる砂込川は柳沢登山道の一本北側の沢に繋がっている.火山泥流はこの沢を流れ下って砂込川に入り,周辺の集落に被害をもたらした可能性が高い.

v) 噴火活動の終了時期
 今日の火山噴火においても同様であろうが,噴火活動終了の判断を下すことは,困難な場合が多い.特に,岩手火山は山頂火口付近からは恒常的に噴気が上がっていたと思われるので,史料の記述から噴火活動の終息を判断する為には,噴煙の有無を確認するだけでは不十分で,火山物質の放出が継続していたか否かを読みとる必要がある.
 「九月末(1686.11.15)まで岩手山で煙が立っていた,と記述する史料も,観察した場所や火山物質の放出の有無が確認できない.これが火山灰を放出するような活動の終息を意味するのか,あるいは活発な噴気活動の終息を意味するかは明確ではない.
 結果として,史料から火山灰の放出が確認されるは,貞享三年三月上旬までである.

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